全く身寄りのないお二人が60代を過ぎて寄り添い、
生きていこうと決め、結婚され、夫婦生活を送っておられました。
お二人はもう80代後半です。
私が今回このお二人と知り合ったのはご主人のオムツ交換と食事介助の依頼を受けてのこと。
奥様は重度の認知症です。
第三者が見ると、明らかに、よく二人で生活を送れてるなあという感じでした。
ご主人に施設や入院を第三者が勧めても、
「こいつを一人にはしない、こいつとずっといるんだ。」と奥様への気持ちを言われていました。
そして、日に日に衰弱していかれ、食事が摂れなくなり、点滴になり、
先日、二人が暮らした自宅で、還らぬ人となってしまわれました。
そばにいる奥様は、ご主人が亡くなったことをわかっておられませんでした。
マンションだったこともあり、自宅で納棺して出棺は難しい状況だったため、
斎場にお連れしました。
担当ケアマネに奥様も斎場に連れて行くか尋ねたところ、
考え方はもちろん人それぞれですが、そのケアマネは、
連れて行かない方がいい。そしたらすぐにご主人を忘れてしまいますから。
と言われました。
忘れさせた方が悲しみが減ると考えられたのかもしれません。
しかし、私は、その選択肢よりも、きちんとお別れをさせた方がいいと思い、
葬儀に奥様を連れて行きました。
葬儀を終え、火葬場まで連れて行きましたが、
火葬場では待ち時間も2時間ぐらいあるので、
収骨までは体力的に無理だろうなと思い、収骨はせずに自宅へ連れて帰りました。
帰路の途中奥様は来てよかったと言われましたので、私自身連れて来てよかったと
思っていました。
しかし、落ち度があったのです。
収骨を斎場の方に頼み、位牌と遺骨は霊園にその日に預けました。
これが結果的にはダメだったのだと思います。
収骨をしなかったことで、死という現実を奥様は受け入れていなかったのです。
その日の夜から、奥様のご主人探しが始まりました。
片っ端から電話をかけ、「主人が帰って来ないけど、どこに行ったか知らないか?」
「寝ずに待ってるけど、帰って来ない」
私にも毎晩何度も「主人が帰って来ない」と電話がありました。
警察にも何度も連絡して夜中に警察を呼ぶ騒ぎにもなりました。
やはり、ご主人のことを忘れるはずもありません。
毎晩続きましたので、何とかしなければと考えました。
私としては、ご主人の死を受け入れてもらうにはどうしたらいいか考えました。
そこで、位牌と遺骨を霊園に引き取りに行き、自宅へ持って行きました。
そして奥様に、「お父さんの帰りをずっと待ってたんだよね、ずっと探してたんだよね、だからお父さん連れて帰って来たよ。でもね、お父さんは亡くなったの、だから今日はお父さんが安心して浄土で休めるように供養するからね」
と話すと、位牌と骨箱を奥様は抱きしめ、
「お父さんがやっと帰って来た、やっと会えた、お帰り」と言われました。
二人で生活を送った自宅でもう一度葬儀のお勤めをさせていただきました。
読経の後、奥様は、これからもお父さんはずっとここでそばにいてくれます。安心しました。
と穏やかな顔になられました。
今回、夫婦の絆の強さ、認知症の方の対応、介護職としての役割、葬儀を行う意味の深さ、などなどたくさん学びました。
最後に、
奥様は自宅で、位牌と遺骨を抱き寄せた時、ご主人が見えているようでした。
2018.02.07 タグ:#葬儀, #運命, ♯ペットお葬式
私が、
亡くなっている子を、
そっと抱きかかえると、
死がわかるのか、
もう一匹の子も、
ずっと吠えていた。
その鳴き声は、
泣き声に聞こえ、
いつまでも響いていた。
二匹の楽しかった思い出が、
そっと揺れていた。
弔うとは、
死を悲しみいたむこと。
弔うかたちとは、
誠にさまざま。
しかし、
そこに共通してあるものは、
想いと、
自己満足。
弔った、
という想いが、
自分を慰めている。
今日も、
しんしんと夜が更けていく。
2017.11.16 タグ:#葬儀
互助会は相互扶助という思想から生まれた。
部落で誰かが亡くなったときは、隣保班がその家に集まり、
炊き出しをしたり、葬具を用意したり、
葬列の準備をしたり、荼毘を手伝ったり、
喪家の家だけでは、費用も人手も足りなかった。
また、葬列をする際、柩を抱える輿がいずれ祭壇になり、祭壇を飾るようになった。
その祭壇を含め葬具品を用意するのは容易ではなかった。
そのため、前もってみんなで費用を出し合い準備をした。
そして、誰かが亡くなった時は、それを使用した。
それが根底にある。みんなで助け合おうよ。という根底が。
時代は流れ、今は互助会が批判され続けている。
時代が変わった、そんな時代ではない。互助会企業は詐欺集団だ。
と批判するものも多いが、時代が変わったのではない。
人の考えが、心が変わっただけである。
もう他人の為には助けない。
自分は自分。
私も偉そうなことは言えない。
私もきっとそうであるから。
この先、こんな時代だから、互助会の根底の思想を復活させようとなるのか。
いや、なりはしない。
家族だけでお金を掛けずに葬儀は終わらせたい。だから安い葬儀社を選ぶ。
いっそ、葬儀なんてしない。
そういう時代が来ているのだろう。
こんなんでいいのか。